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『さくらとっとちゃん』


エフエム戸塚 東日本大震災義援金活動
  被災地視察



〈東日本大震災視察〉FM戸塚報告書

FM戸塚視察班2011年5月10日




1.視察目的 東日本大災害義援金活動に関する視察
2.視 察 日 2011年5月6日、7日、8日
3.視察場所 東北被災地主要都市
4.視 察 班
株式会社エフエム戸塚 代表取締役 福原 稔
顧  問 紺野 望
放送局長 沖 千賀


(1)視察趣旨
東日本大震災に臨んで、㈱ エフエム戸塚は発生2日目より被災者に対する義援金募集活動を行ってきた。第一次活動は放送局員全員が街頭に立ち、また町内会、小学生・中学生などの協力を得て実施し、5月2日現在1,220万円、チャリティーTシャツ販売額153万円、合計1,372万円に達している。開局3年目にしてこれほどの社会活動ができたことは、放送局を支援して下さる関係者および戸塚区民の信頼による結果であり、また、何よりも大きな成果は戸塚区民より寄せられた放送局に対する信頼ではなかっただろうか。こうした信頼に応えるためには、大災害の現状をつぶさに視察し、義援金に込められた心の重さを感じ取る一方、被災されている方々に最も役立つ支援の方法を把握する必要が大きいことを認識し、エフエム戸塚として視察を実施することにした。以下はその報告である。


(2)視察概要
 視察は3日間の日程で実施された。期間内にすべてを視察するには限界があるため、要所に限られてしまうのはやむを得ないが、しかし、全行程は「視察車」で訪問することができ、被害の大きな都市からその周辺の集落まで見ることができた。 視察の過程は次の通りである。





(1)6日:訪問地 (a)宮城県仙台市名取市・閖上、岩沼市とその周辺
(b)臨時災害放送局「いわぬまさいがいエフエム」
(c)エフエムはなまき(FMOne)
(2)7日:訪問地 (a)宮古市、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市と
その周辺
(b)宮城県仙台市青葉区戸とその周辺
(3)8日:訪問地 (a)石巻市・女川町・東松島市・若林区・山元町とその周辺
(b)福島県新地町・相馬市・南相馬市・浪江町・飯館村とその周辺

上記訪問地は大きく3つに分けられる。1つ目は漁港を中心とした町、2つ目は沿岸の田園地帯、3つ目は福島原発被災地、である。


(3)視察初日 《宮城県仙台市仙台空港/若林区周辺》
◇当地域は宮城県を代表する穀倉地帯の1つである。沿岸から3~4キロほど平坦地がつづき、見渡す限り広がっている。宮城県で誇るべき穀倉の生産が営まれている地帯であるが、3キロ先、微かに見える海岸の松林は津波に倒されたのであろう、途切れ途切れながら毅然として立っている。そのこちら側、この地帯はモンゴルの原野を思わせる光景で、泥に浸かった地平がどこまでも広がっている。ところどころに津波にあった自動車や小舟が横になりひっくり返っている。仙台空港周辺は空港が再開した成果、多少の地元の人々の復旧活動が散見されたが、まだ手つかずの家々が大方で、辺り一帯はことのほか静まり返っているのが不気味であった。




◇我々は、自衛隊はじめ国や県の依頼による復旧作業トラックやブルドーザーが槌音を響かせている情景を思い浮かべていた。しかしそれは違っていた。静かな被災地に散見できる程度であった。なぜだろうかという疑問はすぐ解決した。500キロにわたる広大な被災地に分散すれば、被災地で動ける数は限られてしまうのである。たとえば 2000台のトラックが100 か所で動くなら、1か所20台の計算になる。広い港湾都市や農村地帯に20台程度投入されても「散見する程度」なのは当然であろう。この広大な被災地域の復旧作業は 多くの時間を必要なことが痛感させられる。



◇臨時災害いわぬま放送局訪問(宮城県岩沼市)

被災地視察後、コミュニティ放送局 ㈱エフエムいわぬま を訪問した。この局は現在臨時災害放送局として放送中で、地元災害情報を3名ほどのスタッフで伝えて いた。この局の取締役放送局長渡邉正次氏と面会する。当局は岩沼市が主導で開設した局で、岩沼市の支援が情報提供と運営資金にも反映されている。臨時災害放送局は市の要請で受託運営している。運営に関しては現在臨時災害放送局のため、日本財団より運営資金が援助されているが、通常放送に戻った場合は経営難が予想され、苦慮されているという。これまでスポンサーになっていた企業が軒並み被害を被り、なかには会社そのものが消失したところもあり、スポンサーとして資金の提供企業が少なく、運営が危ぶまれている。



コミュニティ放送の災害時の役割は大きいものの、放送局の平常時に戻った時の運営のあり方に改めて大きな課題があることを認識させられた。地域活性化のためのコミュニティ放送と災害時の情報提供のためのコミュニティ放送という、経営的には二律背反の運営を負わねばならず、コミュニティ放送に内在する問題として、日頃からその解決方法を検討しておくことが重要である。この点はFM戸塚に限らず、それぞれのコミュニティ放送局の課題である。

(二律背反という意味は、災害時コミュニティ放送局の災害放送や臨時災害放送局の放送にはスポンサーを付けることができない運営のことである。)



(4)視察2日目 《えふえむ花巻㈱〈FMOne〉および岩手県西海岸沿岸》
◇〈FM One〉放送局長落合昭彦氏と面談。当放送局は臨時災害放送局を終了し、通常放送に戻っていた。局長以下6人体制で運営していた。今回の災害放送は花巻市が内陸部にあるため、地震に関連する情報が中心だったため、臨時災害放送局の実施は23日間であった。その後通常放送に戻り現在放送中。大船渡市、陸前高田市の災害放送に協力しているという。〈FM One〉はやはり花巻市が主導的に開設しているので、スタジオと送信所は市からの無償提供である。局長の話では、東北という小規模の市町村では自治体の協力がなければなかなか運営が難しい点を強調されていた。東北のコミュニティ放送局が自治体主導型の開設によるのはこうした理由であろう。




◇岩手西海岸:漁港町視察

(宮古市、山田町、大槌町、釜石市、大船渡市、陸前高田市)

三陸海岸にある港町は、今回の大津波でねこそぎ奪われた。どの港町も被災状況は深刻で、地震に加え大津波の威力、自然の力を痛感せざるを得ない。近代文明を信じ切って暮らしてきた我々は、人間の力など微々たるのもで、自然の猛威、自然の力の大きさにただただ沈黙するしかないことを改めて思い知らされた。



どこの港も被害の大きさは変わらないが、陸前高田市では街のほぼ中央に降り立ち、破壊された町の様子を眺めた。目眩がするほどショックを覚える。初夏の青い空とさわやかな風、港の匂いが漂うなかに、辺りは地獄絵と化している。5階建てのマンションは4回までぶち抜きにされ、商店街は跡かたもなく、ただただそこここに看板の端切れがあるだけ。生活の糧を運んできたであろう多くの漁船があちこちに打ち上げられ、転覆している。防潮堤の厚いコンクリートはところどころ発砲スチロールを割ったように横たわっている。360度瓦礫の山・やま・ヤマ。ゴーストタウンという言葉があるが、むしろロストタウンといっていい光景だ。失われた漁港の街である。



◇たまたま実家がここにあるという東京からきたと親子(父と息子)がいた。「そこに実家があったんです」と二人で見詰めている。「何が起こったのでしょう。ここには賑やかな港町が栄えていたんですよ。いまの姿が信じようにも信じされないですね。」そういって茫然と佇んでいた。破壊し尽くされた商店街に、そこの住宅に、行方不明者の魂が漂っているような思いに駆られた我々は、ただただ手を合わせるしかなかったのである。



◇今回の視察は全行程を4人乗りの乗用車で廻ることできたことにより、太平洋側の街々を車窓より視察することができた。なかでも大槌町、釜石市、大船渡市など陸前高田市までの諸市町村は、その被害の酷さは皆同様で言葉を失うばかりであった。
津波災害の瓦礫(がれき)とは建物が何と細かく裁断されてしまうのか、津波という大河の激流になって襲う水の威力にただただ驚かされてしまう。この波に呑みこまれた人々の気持ちを思う時、深い無念の思いが込み上げてくる。




(5)視察3日目 《石巻市、東松島、相馬市、南相馬市、飯舘村》
◇石巻市は宮城県第2の都市で、漁業、水産加工産業など工業や農業が盛んな17万都市である。江戸時代から東北随一の漁港として全国に知られている。この街の被害もまた甚大なもので、陸前高田市と同様に、海に広がった広い街全体が津波に飲み込まれていた。港と北上川沿いに広がっている市街地はすべて破壊し尽くされていて、川に沿った肥沃な内陸穀倉地帯も数キロに渡って津波が遡り、農地は全滅している。港湾都市の被害と穀倉地帯の被害という両方の災厄を被ってしまった石巻市である。



◇石巻市の近郊、牡鹿郡の小さな浜を2つほど視察した。小竹浜と所浜である。ちょっとした入り江になっている漁村で、住宅も漁民もそう多くない。しかし、この2か所も他の被災地と同様、激しい津波に晒されていた。高台に避難場所という文字があり、恐らくここの住民が避難しているのだろう。しかし、石巻市から近郊といいながら、小高い山波に添った入り江で道路が崩れている。落石もある。支援物資が届くにはかなりの時間がかかったのではないか。テレビや新聞は大きな都市の惨状を報ずるが、こうした離村の被災状況は届いてこない。被害状況は全く変わらないのである。しかし何と長閑な浜であろうか。都会的な漁港には無い、ゆったりとした時間が流れている。自然と向き合っているその幸せな時間がいま地獄と化している。女川町(女川原発があるところ)経由して石巻市に戻る。




◇石巻市街にある1つの避難場所(小学校)へ寄った。持参した段ボール2箱のマスクを提供するためであった。石巻市はある程度物資は供給されているようで、マスクはすでに足りているそうだ。いま避難所で必要としているのは、児童の下着で、サイズが不足し、大きな子小さな子にマッチした下着がなかなか届かないらしい。視察スタッフの沖局長が話を聞き、できるだけ努力する旨伝えて避難所を後にする。被災者の避難生活は2カ月近く経ち、共同生活には限界がきている。そうしたなかでの被災者の求める支援物資は大きく変化している。これからはニーズを確かめてからの物資提供が望ましいと強く感じた。



◇石巻市を後にして、隣町の東松島市、奥松島へ移動・・・。ここは奥松島パークラインが通っているところだ。普段なら観光ドライブでこの風光明媚な海岸線をゆっくり走る場所であるが、海岸線と並ぶパークラインは根こそぎ剥ぎ取られ、自衛隊が創った松林の間を抜ける臨時道路で復旧作業が行われている。体育館らしき建物や宿泊施設などは津波で破壊されている。この美しい海岸の姿はすでに無く、作業車を避けるように首輪を付けた犬2匹が流浪していた。誠に象徴的な光景であった。



◇奥松島のパークラインが行き止まりになっていたため引き返し、塩釜市、岩沼市を抜けて相馬市に回った。相馬市、南相馬市は海産物と農産物が豊かな街であるが、 両市とも双方の産物が大きな被害を受けた。平坦な海岸線の穀倉地帯はどこまでも津波の足跡が見られ、福島米はじめイチゴ、新高梨などの農産物に壊滅的な被害をもたらしているようだ。南相馬市に入り南下、30キロ圏内の立ち入り禁止まで行く。右方向に向かい、いま計画退避で注目されている飯舘村を視察した。



◇飯舘村は、阿武隈山系北部の高原に開けた豊かな自然に恵まれた美しい村である。高原地帯独特の自然が息づいている集落だ。ここは福島原発より50キロ離れているが、風向きの影響で放射能量が高く、いま計画退避を余儀なくされている。
福原社長が持参した放射能測定器で図ってみる。測定値は全国的に約0.03~5ミリシーベルトの範囲が普通だが、今回の事故で関東地方はそれより高い時もあるが、相馬市、南相馬市あたりでは少々高く3~5ミリシーベルトを示していた。飯舘村では高原地帯のせいもあってか、更に高いの数値を示していた。やはり影響が大きいことが分かる


それにしても軽井沢の高原を思わせるような冷涼な気候で、村長主導の下、村民の積極的な活動が評判を呼んでいただけに、今回の原発事故は晴天の霹靂に違いない。いやこれは人災だけに許しようのない村民の悲痛と怒りが伝わってくる。村の入り口に「いいだてにようこそ!」という看板、そして村全体がひっそりしている。農家に一人高齢者が玄関を箒で掃除していた。忘れられない光景である。




◇飯館村より一路二本松に向かい、東北自動車道で帰路についた。途中のパーキングで一休みし、FM戸塚番組「ラジオの絆」(パーソナリティ:相浦やよい氏)に、電話で生放送出演した。福原社長より視察の概要を伝え、紺野顧問が視察のポイントと様子を伝えた。



(6)視察を終えて
◇東日本大震災とは一体どんな震災だったのか。まだまだ詳細やその本質が分かっていない。巨大地震、巨大津波の上に原発の機能不全事故と3つの災厄が重なった出来事は、恐らく有史以来であろう。日本の存亡がかかっているといっていい大きな災難である。その意味するところは、高度技術文明に支えられ、高度経済成長を凌駕してきた日本社会ではあるが、その価値観を変えるべき大きな転換期を余儀なくされている、ということである。その転換期の1つに、人間が人間らしい生活空間を再構築し、人の心を大切にする社会の出現であり、自然環境を重視する環境づくりであり、原子力に頼らない自然エネルギーの開発などなどである。



◇こうした大きな転換期にあって、我々コミュニティ放送局は何ができるのか、どんな役割を果せるのかを考え実践していかねばならないが、上記3つの項目はいずれも政府や行政の果たす役割が大きい。しかしその課題を国民一人ひとりが実践して行かねばならないことを考えると、地域では地域の活動を通して、これらの課題を具体的に促進して行かねばならないのである。その最も身近な課題は、人の心を尊重し、人との絆を結んでいく活動、自然環境の地域促進キャンペーン、新エネルギー普及活動、など地域でできることは限りなくあるように思う。我々が取り組むことのできた「東日本大震災義援金募集」活動は、地域でできる活動の1つであり、結果として大きな成果に結びついている。



◇「東日本大震災義援金募集」の活動は、緊急事態のなかで実施であったが、その募金額の多さと区民の熱意の高さは、我々の活動に弾みをつけ、また開局3年目にして区民の評価となって現われた喜ばしい出来事である。これからは更に区民一人ひとりにFM戸塚の存在と活動を知ってもらい、絆の役割に徹した活動を展開していきたいものである。今回の視察はそうした背景を背負って現地を訪問し、我々の活動の重要さを知り、被災地の役に立てる実質的方向性を探ることでもあった。




◇今回の視察では、実際に訪問してみた結果、震災の規模が余りにも大きく広いため、どこに焦点を当てて考えるのが最も適しているのか、探りかねたこともあるが、コミュニティ放送局を訪ね、活動している様子を見聞するにつれ、いろいろなことが分かってきた。1つは、義援金の送り先が県単位ではなく、市町村単位に絞り、ある程度の方向性をつけること、そして地元のコミュニティ放送局にコーディネートしてもらい、一定の筋道を立てる方法があるのではないか、ということである。また、被災地の復旧作業が進んでおり、日に日に求めるものが変化するなかで、被災地をピンポイントで支援していくことの大切さを強く感じたことである。

FM戸塚の今回の義援金募集活動は戸塚区民が対象であり、集まった義援金の送り先をはっきりさせる必要があるのでは、という関係者の意見もあった。そこで、被災者全体にという発想よりピンポイントの地域を長く支援していく方向性が最も相応しいのではないだろうか。今回の視察によって初めて見えてきた発想であり考え方であり、大きな成果であったと思われる。その意味では戸塚区との連携する都市であったあり、あるいはコミュニティ放送局と連携による当該地区を絞り込んで支援していく、といった方法がこれは大切になっていくのではなかろうか。視察の成果が今後の活動に役立てば幸いである。


記:FM戸塚視察班(2011年5月10日)



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